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ギニアへ行く−3ー いよいよ出発      2005-02−6 [旅行日記]

かねてより出かけたいと思っていた2000年にギニア活動地へようやく出かけることが出来ました。
そのときの日記です。
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1月28日(日)
新宿から成田エクスプレスで、空港第1ターミナル駅に到着。2時間前の待ち合わせ時間にはまだ、大分余裕がある。
ぶらぶらして足りない物を買う。旅行中に荷物が無くなることもあるおちうことで、2〜3日は過ごせるよう名衣類などを機内持ち込み荷物に入れておくようにという野澤さんのアドバイスもあり、着ない持ち込みのリュックのその重いこと、久しぶりの重量感である。なにせ、着る物ばかりではない。内用・外用薬、殺虫剤、カメラ、フィルム、懐中電灯、、、減らせるものがない。

これも娘に借りた赤いバッグ、大嫌いで使うことの無かったウェストポーチまでこのエアーポートで購入し、パスポートと往復のチケットとトラベラーズチェック、現金を大切にしまい、他の現金をバックとリュックに分けました。パリの乗り換え時にスーツケースが見知らぬ国に行ってしまったら、ギニア人の日常着を買って見るのもわるくないかも、、等と縁起でもないことを考える。

チェックイン・カウンターの前で3人が出会いました。なんと、野澤氏はベンチにもなるパイプのついた小さな黒いリュックと、ウェストポーチだけではないか、彼は今まで何度も出かけているので事務所に必要な物を措いてあるのだそうです。渡辺君は、私と同じにリュックを背負っている。
成田/パリ AF273 21:55にチェックイン。

荷物の検査で、先ず、私の殺虫スプレーをとりあげられかけた。「なに??」「何故??」・・爆発物に該当する・・野澤氏が今まで何度もこれを持って搭乗したが、マラリア予防のための必需品ということで持ち込み禁止にはなったことがなかった、主張したが規則で決まっていることだから絶対に駄目と私のリュックをあけさせ、取り上げた。それではもっと上司の責任者をお願いするというと2人ほど入れ替わりに同じようなやりとりがあった、「現地で買うことは出来ないのですか」「いえ、現地には夜到着するし危険度3の所でもあり買いに行けるわけがありません。その夜に使う分がこれなのです。NGOの活動には必需品でほかのNGOでもみな持っていきます、それが何故エールフランスだけそれもおそらく東京だけこうなのですか。」説明に見せられたパンフレットの絵はどう見ても我々のもつスプレーではなくボンベの絵だ。

漸く、責任者の一人が出国手続きの所でわたしてくれることになり、無事、持ち込むことが出来た。冷静に沈着に説得する野澤氏はさすがだ。彼は、「シャルルドゴールでは、まず、何も言われませんよ」という。  ほぼ満席。 20分遅れで出発した。

1月29日(月)
パリ到着午前4:30。コナクリ出発は午前11:00シャルル ドゴール空港での時間をどうして過ごそう。乗換口には行かず1度入国して、買い物をしたいと野澤氏。広い空港の中は、人が本当に少ない。ある時間は目の見える範囲には私達3人しかいないこともある。出発フロアに行き暫くベンチで時間をつぶす。サロンはないしあってもこの時間では利用できないだろうし。

6時半頃になるとぼつぼつ人も出てきて、軽食堂も開店したので入って、コーヒー、
クロワッサンを頂く。渡辺君と私は初対面なので、この暇な時間はお互いを知るのにありがたかった。亡母のすすめで私も25年前、入会していた日本有機農業研究会が現在も活動しており、彼がその活動家として情熱を持って農業をしていることがわかる。共通の知人もどうもいるみたいだ。野澤氏は10年前から彼のところから、米、野菜、卵などを購入しているそうだ。私は、自宅の小さな庭に菜園を作り、近くの農家で、有機農産物を買っている。

9時をすぎて、店も開いてきたので、買い物に行く。私はもう何も持てないので買わない。きょろきょろ、大きなリュックサックを背負って歩くのは大変だ。野澤氏の買い物はなんとマラリアの治療薬だった。ギニアで1番罹患しやすい熱帯熱マラリヤのそれではなく1型、2型、3型の治療薬だそうで、やはり、ハマダラ蚊に刺されないように注意を払うしかないようだ。

出国口での荷物の検査時には殺虫剤スプレーは、何の問題もなく通過した。野澤氏のいう通りだった。成田でのあの厳しさはなんだったのだろう。

コナクリ行きのゲートに並んでいるときに、5人の手錠をはめられた若い黒人が
4人の国際警察の徽章、腕章を付けた男性3人、女性1人のオフィサーに私達の眼前を暴れながら抑えられながら、なんと、私達が乗る飛行機に引っ張られて行くではないか。よく見ると、コーナーにはもう5,6人同じような手錠の人達がいる。日本なら、衆人に見られると言うことはほとんどなく、そのようなときでも、手錠の手や、顔には何かがかぶせてあるのが普通だ。きっと、彼等は強制送還されるのだろう。
機内に乗り込む。見える範囲では80%が肌の黒い人達。黄色が我々を含めて、4人。白い人が15,6人か。

なんと、スチュワードばかりそれも屈強の。ファーストクラスの方にスチュワーデスが1〜2人チラッとみえる。あの送還される人達が乗っているのだ。
シーンと静まり返った機内はやはり異常な感じだ。
出発し、何事もなくとびつづける。サハラ砂漠を上から見る。砂ではなく岩、石、土であることが察しられる。

マリ共和国の首都バマコに到着。約60%位の乗客が降りただろうか。約1時間後、離陸。乗務員達の表情から、もう彼等は降りたのであろう。ファーストクラスとの間のカーテンもあけ放し。カートを押したり乗客の世話をしながら笑っている。窓から見るバマコ飛行場はサハラから吹き寄せる風,ハルマッタンにより薄茶色のベールを越しに眺めるようにぼーっと煙っている。月も街路灯も。閑散とした、割と小さな飛行場だ。3年前まで所属した[カラ=西アフリカ農村自立協力会]の事務所があるところなのだからよく見ておきたかった。

予定より約3時間遅れで、コナクリ到着。バマコに比べるとだいぶ大きな飛行場だ。
空港ビルも大きい。人のざわめきが沢山聞こえる。建物から出ると大勢の人、みな私達の方に手を伸ばしている。物乞いをしているのだろうか。黒い長い腕に捕まえられそうで怖かった。
大使館のA氏、スマさんが迎えて下さる。感謝。  無事、到着。

ホテル マリアドール レジデンスに到着。


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