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木曜日は 電車に乗って、、スタッフが、、 [具体的な活動]

サパに朝、電話をしましたら、聞き慣れない女性が出て、新人が決まったことが分かりました。

ホッとしながら、事務所につきますと、今日はN理事、先週退職したSさん、サパの現地の活動をときに
サポートしてくださる、元サパの現地活動代表代行のNaさんがいました。Naさんは、先週土曜日にセネガルから帰国し、現地の状況を知らせに来てくれました。

新しいスタッフはSiさんは51歳の女性。大学は仏文科を出ていて、また、パソコンによる事務、経理の経験もあるそうでたすかります。

6人が、ばたばたとそれぞれの仕事や、打ち合わせ、報告などで、賑やかな中、前スタッフのSさんは2度目の事務引き継ぎをしている。

またN理事は、このSさんの労務の事務手続きが終わっていないし、突如退職したYさん関連の事務手続きのやりかけがあるし、今度の新しいSiさんの手続きもあるし、丁寧に書類を準備し1度で、ハローワーク行きをおわらせたいと言っていました。彼も完全無給のボランティアーで誠に申し訳なく思います。

現地報告で最も印象に残ったはなしは、本年度、サパが指導し支援している大きな荒野を抱えた100人ぐらいの人口の村がにサパはその荒れ地に森を作り森から出る葉、間伐材などで、堆肥を作り、やし油の絞りかすでぼかし肥をつくり、農業を営めるようにすると言う計画で井戸も2軌ほり、開墾も60%進んでいるようなのである。しかし、Naさんがいうには、こうして出来た新しい森、畑は、誰の物になるか。サパでは共有の資産になると考えているが、彼らは
今、そこら辺で意見が分かれて来ているようだとのことでした。
9月末に事務局長が現地に出かけるが、その時によく見て、聞いてよい解決をみつけなければならない。


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チョコマコ

はじめまして。
昨日わかめさんに8月17日のblogのお話をききわたしの記憶と重なるところがあり驚きました。
私も8月11日(12日だったかも)医大班で疎開しました
そして(がぼうてん)という土地の葉タバコ工場で終戦になりその後は
おっしゃるとうり貨車や無蓋車に乗ったり下ろされたり機関車がなくそのまま
線路沿いで座り込んだり回りはソ連兵が機関銃をもってたっていたりと
怖い思いをしました。確か(大石きょう))という土地でした。私のすぐそばに
3歳ぐらいとまだ1歳にならない女の子のおかあさんがそこでなくなられました
いまだにあのお子さんのこと胸が痛むおもいです。
そうしてヤット奉天に帰ったのが9月にはいってからです。
父は8月11日に38歳で現地召集されそのままソ連に連行され25年まで
帰ってこなかったので母はたいそう苦労して終戦後日本に帰るまでは
生きて帰れたのが不思議です。母33歳妹1歳弟6歳私10歳でした。
父も母も亡くなり私も遠い昔ゆえ記憶も薄れています。
でもどこかでお目にかかっていたのかも・・・?
by チョコマコ (2005-09-02 12:23) 

ytakahahsi

チョコマコさま   早速、お返事ありがとうございました。母に「こんなコメントを頂いたのよ」と話しかけたくてしかたがありません。がぼうてんと言う地名はよく話しに出てきました。思い出させてくださってありがとうございました。
同じ班だった確率が高いですね。
いつどこへも良く覚えていらっしゃいますね。また思い出されたらおしえてください。私も、何人か、満州を逃げ回ったお母さんの世代の方の記録など少しありますのでもう1度見て思い出せるか試してみます。
わかめさん  ありがとうございました。
by ytakahahsi (2005-09-02 22:28) 

わかめ

わかめです。
8/30日の記事の下にわかめが書いたコメントの内容が間違っていましたので
お詫びして訂正いたします。
チョコマコさんから厳重抗議の電話をいただき小さくなっています。
当時、チョコマコさんの父上は博物館の館長、はわかめの早トチリでありました。

訂正: 誤 「父上は博物館の館長」
          正 「父上は博物館に勤務」 
です。
by わかめ (2005-09-04 10:21) 

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